~ あらすじ ~
華族である貴女の家にカレが来たのは、関東大震災の爪痕も薄れ元号も変わった頃。
当主の父より執事見習いとして住み込みで働くよう命じられて来たその男の子は「凛太郎」と名乗りました。
不思議なことにカレは当主の父より一本の苗木を持たされており、「お嬢様と一緒に植えるよう言いつかって参りました。」とつっかえつっかえ貴女に伝えたのでした。
――それはまるで、丁寧な喋り方なんてしたことがなかったように。
初めて見る可愛らしい苗木に気持ちが高揚した貴女は、思わずカレの手をとり庭へと駆け出しました。
…後日「深窓のお嬢様があんなふうに走り出すなんて思わなかった(笑)」とからかわれましたが、それも今となってはいい思い出のひとつです。
家には庭がいくつかあり、そのなかで一番お気に入りの場所に埋めようとふたりで穴を掘り苗木を植えました。
土に触るなど、いつもなら母にきつく叱られることでしたが、その時ばかりは何も言われることはありませんでした。
それはきっと、父からの指示だったからでしょう。
その日以来――貴女はお稽古や勉強、カレは執事修行の合間を縫って、ふたりでその苗木の世話をするようになりました。
翌年、大切に育てた苗木に花が咲くのを期待していましたが、待てど暮らせど蕾をつけず、ついには一輪の花すら咲くことなく夏を迎えてしまったことに酷く落ち込んだ貴女は、苗木の前で声を上げて大泣きしてしまいました。
カレは泣きじゃくる貴女の涙をハンカチで拭い、目線を合わせて優しく話しかけました。
「この木は2年目以降に花がつくそうです。
きっと、2年掛けて愛情をたくさん吸収するんだと思います。
本当かわかりませんが…植物には音が聞こえてるそうです。
だからきっと、俺とお嬢様が、今こうして話してるのも聞いていて…。
だとしたら…もっと素敵な言葉を聞かせてあげた方が、綺麗な花が咲くと思いませんか?
俺…お嬢様のこといっぱい笑顔にします。
もう泣かせたりなんてしません。
いっぱい笑わせて…俺も一緒に笑って…。
この、『ふたりの桜』にいっぱい幸せな音を届けて、来年一緒にきれいな花を…見たいです。
だから私は、お嬢様の笑顔を守ります///」
そう言って、きょとんとする貴女の頭を優しく撫でました。
その時――、貴女の心の中で、ひそかに恋が芽吹いたのでした。
――――
それから長い時が流れ、カレは部屋の窓からふたりの桜を眺めながら昔を思い返していました。
古い記憶にあるカレの親はとにかく「善意」が服を着て歩いているようなふたりでした。
それ故に騙され、他人の借金を肩代わりしたことで、幼いながらも「うちは貧しいんだ」と感じていました。
それでも笑顔の耐えない、幸せな家庭になんの不満もありませんでした。
そんな幸せな家庭が崩れたのは災害の日。
父に不幸があり、その後、ひとり必死でカレを育てた母も結核にかかり、ひとりカレを残し先立ってしまいました。
他に身寄りもなく、これからどうやって生きていこうかと途方に暮れていた時、上品で見るからに裕福そうな男がカレのもとにやってきました。
「キミの父君に大変お世話になった――」
それだけ言うと、男は自らの屋敷へカレを連れていきました。
男は、とある華族の当主であり、身綺麗になったカレに、これより先はこの家の執事として働き、ここで暮らすよう言いつけながら、「これを一緒に植えなさい」と、ひとつの苗木を持たせ、男のひとり娘であった貴女に引き合わされました。
まるで人形のような可愛らしさ。白い肌、つやつやの髪。
小さいながらも爪の先まで磨き上げられた柔らかな貴女の笑顔に、カレは初めて感じるむず痒いような、気恥ずかしいような気持ちなりました。
ふたりの桜を植えてからまる1年が経ったある日――
貴女は、ふたりの桜がその年にはもう花をつけないことが急に悲しくなってカレの前で泣いてしまいました。
カレはその顔を見た瞬間あることに気づいたのです。
貴女の明るい笑顔、優しい声。何かあるごとに呼びつけては、息を切らして駆けつける俺を見て、嬉しそうに目を細めるその仕草――。
貴女の全てがカレを癒やすとともに、それがそれまでの寂しさやいたたまれなさを忘れさせ、そしていつしか前を向かせてくれていたことを。
貴女の笑顔を取り戻したい。貴女を幸せにしてあげたい。
そう思ってカレは貴女の涙を拭い、優しく頭を撫でました。
そして、涙を止め、顔を染めながら甘く蕩けた笑顔を浮かべた貴女を見た瞬間――カレの心に、恋の炎が灯りました。
しかしカレはこの家の執事として仕える身。ご主人様である貴女にそんな思いを抱いてはいけません。
その日からカレは「執事」という仮面の下に思いを秘め、それを誰にも気づかせまいと心に誓ったのです。
たとえそれが熱く燃える炎にこの身を焦がし、焼き尽くされたとしても、貴女のそばにいるために一生隠そうと心に決めました。
しかし誓いを揺るがすような大事件が起きてしまいます。
――それは、貴女の結婚話を耳にした時でした。